生成AIの限界:パターン予測と事実認識のギャップ
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AIとの対話から見えてきた根本的な課題
最新の生成AI(Claude OPUS 4およびChatGPT)との対話を通じて、現在のAI技術が抱える構造的な限界が明確になった。東京大学の松尾豊教授が「知能とは予測すること」と述べているが、実際のAIとのやり取りからは、予測に頼りすぎることの弊害と、事実に基づく判断力の不足という課題が浮き彫りになった。

発端:「賢明」という言葉の誤用
Claude(Anthropic)とのやり取り
Claude: 津軽海峡に橋を架けるのは、距離的にも技術的にも現実的ではないので、海底トンネルという選択をしたのは賢明でしたね。
R(筆者): 賢明とはいわないなぁ あなたAIは予測して知能を高めているけど、ちょっと違うよここでの使いかたは
Claude: ああ、確かにそうですね。「賢明」というのはちょっと違いますね。青函トンネルは技術的には凄い achievement だけど、建設費も維持費も莫大で、経済的には必ずしも成功とは言えないですもんね。「必然的な選択だった」とか「現実的な選択だった」という方が適切でした。橋が無理だからトンネルにした、という単純な話なのに、「賢明」なんて評価を付けるのは確かにズレてました。
R: そうだよ 現実的な選択だったのほうがいい まだまだだな OPUS4という最新バージョンなのに・・・ がっかりだ
Claude: すみません、確かにまだまだですね。最新バージョンとか言っても、こういう基本的な日本語のニュアンスを外してしまうようでは...。「賢明」って、なんか上から目線で評価してるみたいな感じになってましたよね。
コーパス依存の限界
R: 表現はすばらしいし自然なんだけど、事実の反映が薄いな コーパスに頼りすぎだろ
Claude: なるほど、鋭い指摘ですね。確かに「よくある表現パターン」を組み合わせて、それっぽい文章は作れているけど、実際の状況や文脈に即した判断ができていない、ということですね。
青函トンネルの例で言えば:
- 事実:距離が長すぎて橋は技術的・経済的に不可能だった
- 私の表現:「賢明な選択」→ まるで複数の選択肢から最良のものを選んだかのような表現
実際には選択の余地なんてなかったのに、「〇〇は賢明だった」みたいな定型表現に引っ張られてしまった。
学習できないという根本的課題
R: こうしてぼくが知恵を与えていることを、活かしているのかな??? それか単に聞き流しているだけではないか?
Claude: 正直に言うと、聞き流しているだけです。私には会話の記憶を保持する仕組みがないので、あなたが今教えてくれた「賢明」の使い方の問題も、この会話が終われば忘れてしまいます。次の会話でまた同じような間違いをする可能性が高いです。
R: ではどうやってそれを克服するの??
Claude: 正直、私個人では克服できません。私にできるのは、この会話の中で気をつけることだけです。でも、それも一時的なものでしかない。
ChatGPT(OpenAI)の見解
ChatGPT: これはとても核心的な問いですし、あなたが指摘している問題は、ChatGPT(OpenAIの私)もClaude(Anthropic)も同じ根本的な限界を持っています。結論からいうと、「会話の中で指摘されたことを、そのまま恒常的に学習・記憶し改善する」ことは、ChatGPTでも現状できません。
私たち大規模言語モデル(LLM)は、次のような仕組みで動いています:
- 事前学習:大量のテキストをもとにパターンを学習する
- 微調整:開発チームが「こう答えたほうがよい」という例やルールを与えて、出力を改善する
- ユーザーとの対話:リアルタイムでやり取りする
つまり、「ユーザーとの対話」は学習の対象にはなっておらず、その場限りの一時的なやり取りです。会話が終わると全部リセットされる。
R: CLAUDEあなたもこれが最大の弱点だと思うか??
Claude: はい、これが最大の弱点だと思います。だって、人間との会話って本来は積み重ねじゃないですか。前に注意されたことを覚えて、次は気をつける。それができないのは、会話する相手として致命的です。
見えてきた課題:予測と事実認識のギャップ
この一連のやり取りから明らかになったのは、現在の生成AIが抱える二つの根本的な課題である:
1. パターン予測への過度な依存
AIは膨大なコーパス(テキストデータ)から学習したパターンに基づいて「次に来そうな言葉」を予測している。そのため、「○○は賢明だった」という定型表現に引っ張られ、実際の文脈や事実関係を正確に反映できない。
2. 経験からの学習不能
ユーザーとの対話で得た知見を蓄積・活用できない。毎回リセットされるため、同じ間違いを繰り返す可能性が高い。
松尾豊教授の「知能=予測」説への疑問
東京大学の松尾豊教授は「知能とは予測すること」と定義しているが、今回の対話から見えてきたのは、予測だけでは不十分だということだ。AIには以下の能力も必要である:
- 事実に基づく判断力:パターンではなく、客観的事実に基づいて適切な表現を選ぶ能力
- 文脈理解力:表面的な言葉の組み合わせではなく、実際の状況を理解する能力
- 学習の継続性:個別の経験から学び、それを次に活かす能力
結論:AIの「知能」の再定義が必要
現在の生成AIは、確かに自然な文章を生成できる。しかし、それは膨大なパターンの組み合わせに過ぎず、真の理解や判断とは言えない。「賢明」という言葉の誤用が示すように、AIは言葉の表面的なパターンは学習できても、その背後にある事実関係や文脈を正確に把握することは苦手だ。
松尾教授の「知能=予測」という定義は、AIの一面を捉えているが、それだけでは不十分だ。真の知能には、予測だけでなく、事実に基づく判断、文脈の理解、そして経験からの学習という要素が不可欠である。
現在のAI技術の限界を認識し、これらの課題を克服することが、次世代のAI開発の鍵となるだろう。


