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職場で役立つベトナム雑学② 『ベトナムにはなぜグエンという名前が多いのか?グエンは日本の徳川?』

(写真はフエ王宮)

歴史が好きな人は一度はグエン王朝という言葉を聞いたことがあると思います。この王朝は19世紀の初め現在のベトナムの大部分を支配した王朝です。また世界遺産の古都フエを都にしたベトナム最後の王朝でもあります。

それまでベトナムの歴史に登場した豪族や王朝は現在のベトナムの北半分か南半分のみを支配下に置いてきましたが、グエン王朝は中国との国境地帯からメコンデルタ地域までも支配下に収めた最初で最後の王朝となります。そしてグエン王朝はフランスに植民地支配された王朝としても歴史に名を残しています。

17世紀、フランス人は宣教師としてベトナムに来ていましたが、初期のグエン王朝はキリスト教徒を迫害することはありませんでした。しかし、2代目の皇帝がキリスト教の布教を禁止し強硬な鎖国政策を取ったためフランスは宣教師保護の名目で軍隊をベトナムに派遣します。そして1862年に南部ベトナムを支配下に置いたのを手始めに、1883年には北部ベトナム、1887年にはフランス領インドシナ連邦の一部としてベトナム全土がフランスの支配下に置かれるようになりました。

この時のフランスの植民地支配の時代には、コーヒー園やゴム園でのベトナム人の強制労働やベトナム人の毎日の食卓に欠かせないヌゥックマム(魚醤)にまで税をかけるほどの徹底した収奪ぶりで人々を苦しめました。そればかりか植民地支配に対して暴動を起こしたベトナム人を捕らえて処刑した後、切り落とした生首の写真を撮り絵葉書にするほど残虐な体制でした。

グエン王朝はこうした強圧的なフランスの支配に散発的な抵抗を試みたものの近代的なフランスの軍事力の前には太刀打ちできず司法行政権を奪われ典礼や勲章授与などの儀式などを行うだけの権限しかない飾り物の王朝と成り果ててしまいました。

このように外国勢力に屈したグエン王朝ですが郵便制度や道路網を整備するなどの功績もありました。またこの時代に人々が王と同じ姓を名乗っていいというお達しが出ました。この政策実施の理由としては愛国心を高めるためとか、国家近代化のために封建的な政策は改めるためであるとか、人々の反王朝感情をなだめるためなどが指摘されていますが、この政策により多くのベトナム人がグエンを名乗るようになり多くの人がいまでもこの名字を名乗っています。日本で言えば「徳川」という名前にあたるかもしれません。

グエンという名前ばかりになってしまった現代のベトナムですが名前を呼ぶ時や自己紹介をするときには下の名前で呼ぶのが通例なのでそれほど困ることはないようです。読者の方の職場にも「グエンさん」というベトナム人がいるかもしれませんが、ぜひ下の名前で呼んであげてください。

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