①フィリピンの国名の由来

フィリピンは豊かな自然に囲まれた。 無数の島で形成されている国家です。 民族的にはマレー人、中国人が多数を占め、イスラム系の民族や伝統的な少数民族が暮らしています。 昔から島には「バランガイ」と呼ばれる自給自足の村が点在していました。

1521年にポルトガル人探検家のフェルディナンド・マゼランがフィリピンを発見する前には、インド系のマレー人や中国人商人が多く住んでいて、マゼランがフィリピンにたどり着くころには、「バランガイ」 の村々が地域の連合を築き始めた段階でした。

その後、スペイン人がフィリピンの植民地支配をはじめます。そのころに現在のフィリピンの原型ができあがってきたといわれています。フィリピンの名前はその遠征隊がそのスペイン皇子のフィリペ (後のフィリペ2世) にちなんで、 「イスラス・フィリピナス (フィリペの島々)」と呼んだことに由来します。

もともとフィリピンには、スペインの植民地支配の末期に至るまで、個々の生活が中心だったので、「フィリピン」という共同体に属するという意識はまったくなかったといわ れています。 ですから、「フィリピン人」という名称も、もとは本国 (イベリア半島)生まれ のスペイン人と区別して、フィリピン生まれのスペイン人を指していました。

では土地の人々はどのように呼ばれていたのかというと、すべてひっくるめて「インディオ」と呼ばれていました。また、多くが男性であった中国人移住者やスペイン人と現地女性の間に生まれた子供たちは「メスティーソ」と呼ばれました。しかし、スペイン支配による経済的変化の中で経済発展に伴ってインディオやメスティーソのなかにも富裕層が増えてくると、その子弟たちがマニラの大学で学び、医師や弁護士、技師などの専門職や下級官吏になるもの、 ひいてはヨーロッパの大学に留学するものも出てきました。

このような知識人たちが、スペイ ンの植民地支配に抗議し、フィリピンに生まれ育ったものがフィリピン人である、という意識をはぐくんでいきました。フィリピン人の自覚はスペイン支配のあとのアメリカ介入、日本軍などのさまざまな支配に対するフィリピン人の抵抗から生まれたものともいえるでしょう。

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