ミャンマーの民主化指導者:アウンサンスーチーの苗字は?
日本のニュースや新聞、本などでは「アウンサンスーチー」「アウン・サン・スー・チー」などと表記され、アルファベットで は 「Aung San Suu Kyi」 と表される、通称 「スーチーさん」 どこまでが名字でどこまでが名前なのでしょうか。
実はミャンマーの人口の大半を占めるビルマ族は、性別に関係なく姓を持ちません。 だから「アウンサンスーチー」で一つの名前になり、これは本来分割できないものなのです。 彼女の名前は、父親の名前である 「アウンサン」に、父方の祖母の名前 「スー」と母親の名前「キンチー」から一音節ずつとって名付けられました。従って「・」を入れて名前と名字に分けるのに、「アウンサンスーチー」とするのは間違いです。読売新聞は「アウン・サン・スー・チー」としすべての音節で区切っていますが、朝日新聞や日経新聞は正しく「アウンサンスーチー」としています。産経新聞も「アウンサンスーチー」としていますが、「スーチー氏」と省略していることがあり、これは誤解を招きかねない表記だと思います。
ミャンマー人に姓がないのは、家制度がないからでしょう。 日本とは異なり、結婚しても改姓はありませんし名前からも親子関係がわかりません。先祖の墓も造らないので、家系もはっきりしないそうです。
では、名前はどうやって付けるのでしょうか。 普通は生まれた曜日ごとに決まったビルマ式アルファベットを使うことが多く、「アウンサンスーチー」のように親から取った名前は例外的のようです。
父のアウンサン将軍は「建国の父」と言われるミャンマーの英雄でした。日本軍統治下の英ビルマで独立のために日本軍と共に連合軍と戦い、やがて日本軍と袂を分かち独立運動を続けます。 しかしアウンサンは独立目前の1947年に暗殺されてしまいます。 その時、アウン サンスーチーはまだ2歳でした。
アウンサンスーチーは母の仕事の関係で、インドで高校時代を送った後、英国へ留学。卒業後は国連関係の仕事をしていました。その後、研究員を続けるかたわら英国人と結婚し、二人の子どもをもうけます。1988年に病気の母を看護するためにビルマに戻った彼女は、当時高まっていた反政府運動に関わっていきます。演説を行い、選挙に立候補するアウンサンスー チーをビルマの人々は熱狂的に迎え入れました。彼女はカリスマ性があり、英雄である父アウンサンに良く似ていたからです。しかし軍政側はいまでも彼女を自宅軟禁し、現在に至っています。